6月の標語「決められないときは、誰かに決めてもらう」

 物事を決めるときに、当事者が同じゴールを目指しているのであれば、方法の違いだけとなり、目的に対してどれが最善であるのかを検討すれば、その方法の違いをすり合わせることが出来ます。

 私は、私の上司と話しをするときに、ときどき意見の違いがあります。時にはお互い憤ってしまうこともあります。このまま平行線となってしまうのではないかと思うこともあります。そのとき、いつも私がすることは「私の上司の目的は何であるのか」そして「私の目的は何であるのか」を認識し合い、お互い同じゴールを目指していることを確認し合います。そのことにより、同じゴールへ進んで行こうとしていることを共に理解することで、先程までの雰囲気が一変し、これからどの方法で進むことが一番最善なのかを改めて話し合うことが出来ます。

 ここで大切なことは、ゴールが同じであるということです。同じゴールへ進もうとしているのであれば、あとはどの道へ進むべきかを決めるだけなのでとてもシンプルです。しかしお互いのゴールが違うのであれば、もともと進む方向が違うため、何も決めることは出来ません。

 そのようなときはどうすれば良いのかと考えました。お互いのゴールが違うので、一方が他方に歩み寄るか、お互い折衷案を受け入れるか、或いは審判人を設け、両者その審判人の下す決定に従うかのいずれかだと思います。その審判人は贔屓をしませんので、例え自分の思いと真逆の審判結果であったとしても、ある意味潔くその審判を受け入れることが出来ます。

 人生において、悩むこともあると思います。自分で決めたいけれど、どうして良いのかわからないことは多々あります。そのようなときも関連する本を読むことによって、自分の知らないことや考えたことも無いことを知ることがあります。これも結果として、誰かに決めてもらっているのでは無いでしょうか。

 歴史においても過去の人間がしてきたこととその結果を歴史書は多く紹介しています。今後、自分がその立場に成ったときに、過去の成功例や失敗例を知ることにより、より安全により上手に、その問題を解決することが出来ることでしょう。オットー・フォン・ビスマルクの格言に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とあります。これも結果として、誰かに決めてもらっていると言えるのでは無いでしょうか。

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