今月は標語と言うよりも、「ひとこと」という内容になり、すみません。
2月にロシア軍によるウクライナへの侵略が始まりました。一方的に攻め込んだロシア側に非があるとか、準備を怠っていたウクライナ側にも非があるとか、世論ではいろいろな見方があるようです。
私たちは幼いころから命は最も尊いものであると教えられています。その通りだと思います。どのようなことがあっても命を粗末にしてはいけないし、人の命を奪う権利は誰にもありません。
加えて親にとって、子供は宝です。「目に入れても痛くない」という表現があります。実際に目には入らない大きさですし、目に入れたら物理的には痛いでしょうが、ものの譬えとしてそのくらい可愛いということは誰もが理解し易い表現です。
親は子供が病気で苦しんでいるときに、自分がその子供の代わりになってあげたいと思います。自分の命と取り換えてでも、その子供の命を助けたいと思います。
私は子供が生まれて、初めて「慈愛」という言葉の意味を知りました。辞書で「慈愛」という単語を調べると、「自分の血を分けた者に対する愛情」とありました。ゆえに、自分の親に対する愛情と自分の子供に対する愛情が違うことが分かります。
私がウクライナの人々にとやかく言う資格も権利もありません。ただ彼ら、彼女らは守るべきものがあり、そのために今するべきことがあるのだと思います。彼ら、彼女らの中に、家族や自分たちの子孫に対する「慈愛」や祖国を愛する思いが今の自分たちの行動に表れているのだと思います。ある本に「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」というのを読んだことがあります。
のちの子孫に感謝されることがあるのであれば、それはそれで人の生き方としては尊い人生なのではないかと考えます。