昨年11月にも同様のテーマを紹介させていただきました。2月の祝日は、建国記念の日(紀元節)と、天皇誕生日(天長節)です。この2つの祝日を流行りであるAIのグーグルジェミニに作文してもらいました。
【紀元節について】
日本の祝日「建国記念の日」は、かつて「紀元節」と呼ばれていました。紀元節とは明治6年(1873年)に制定された祝日で、日本の初代天皇である神武天皇が即位した日として定められた2月11日を祝うものでした。神武天皇の即位を日本の建国日とみなし、それを祝うことで国家の統一と国民の愛国心を育むことを目的としていました。建国記念の日への改称第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策により、紀元節は廃止されました。しかし、その後も国民の間で建国を祝う日を求める声が高まり、昭和41年(1966年)に「建国記念の日」として新たに制定されました。「建国記念の日」は、紀元節の意義を引き継ぎつつ、日本の建国を広く国民全体で祝う日として位置づけられています。紀元節と建国記念の日の関係 紀元節は、日本の建国を祝う祝日として制定され、日本の国家意識を形成する上で重要な役割を果たしました。戦後は廃止されましたが、その精神は「建国記念の日」に引き継がれています。
【天長節について】
天長節は、天皇の誕生日を祝う日本の祝日でした。意味「天長」とは、中国の古典に由来する言葉で、天地が永遠に続くように、天皇の治世も長く続くようにという意味が込められています。
歴史 天長節の起源は奈良時代にまで遡りますが、祝日として制定されたのは明治時代になってからです。
明治天皇の誕生日は11月3日で、この日が天長節として祝われました。
大正天皇の時代には、天長節は10月25日となりました。
昭和天皇の時代には、天長節は4月29日となり、この日は現在「昭和の日」として国民の祝日となっています。
現在の天皇陛下の誕生日は2月23日であり、この日が現在の天長節にあたります。
天長節は、天皇の誕生日を祝うとともに、天皇の長寿と国家の繁栄を祈願する日でした。現在、天長節は「天皇誕生日」と名称を変え、国民の祝日として、天皇陛下の誕生日を祝う日となっています。
今の日本国民の多くは、「紀元節」や「天長節」を知らない方が多いです。GHQによる占領政策によって、たった80年で日本の一般知識が失われてしまいました。旧漢字もその一つです。多くの書物がありますが、旧漢字で書かれている書物を70歳未満の人は読めないのではないでしょうか。勿論、私も読めません。以前、天路歴程という本を読もうとしましたが、旧漢字が多くそれらを調べながら読んでいたため、ストーリーが全く理解出来ませんでした。このことだけでも、文字を変更することが戦前の知識と戦後の知識の分断となってしまっていると思います。
旧漢字もグーグルジェミニに作文してもらいました。
旧漢字(きゅうかんじ)とは、第二次世界大戦後の国語改革によって制定された「当用漢字」や「常用漢字」で簡略化された漢字(新字体)に対して、それ以前に使われていた漢字のことを指します。
旧漢字の特徴 字画が多い: 新字体に比べて字画が多いものが多く、複雑な印象を与えることがあります。
伝統的な意味合い: 漢字の成り立ちや意味合いをより色濃く残している場合があります。
美しい字体: 現代の字体とは異なる、独特の美しさを持つものもあります。
旧漢字の例 國 (旧字体) – 国 (新字体) 學 (旧字体) – 学 (新字体) 體 (旧字体) – 体 (新字体) 龍 (旧字体) – 竜 (新字体)
旧漢字の使われ方 古典: 古典文学や歴史的文書には旧字体が使われています。
書道: 書道の世界では、旧字体が芸術的な表現として用いられることがあります。
人名: 人名には、旧字体が使われる場合があります。
神社仏閣: 神社仏閣の看板や碑文には、旧字体が使われていることがあります。
旧漢字の学習 旧漢字は、現代の日本では常用漢字ではないため、学習の必要性は低いと考える人もいるかもしれません。
しかし、古典や歴史に触れる際、また伝統文化を理解する上で、旧漢字の知識は役立つことがあります。
加えて、世界広しと言えども、万世一系であるのは日本だけです。それが出来たのは、伝統を守り続けようという強い意志と人々の優しさがあったからだと思います。折角この素晴らしい国に生まれ育ったので、日本一周をしたり、学校では教わらなかった多くの魅力的な日本をもっともっと知りたいと思います。