表面波探査法による住宅地盤調査のビイック株式会社

8月のひとこと「2024パリ・オリンピック」

 先日、パリ・オリンピックが終了しました。金メダルの獲得結果から、上位5か国は下記の通りとなりました。

             金  銀  銅
1位 アメリカ合衆国   40個 44個 42個
2位 中国人民共和国   40個 27個 24個
3位 日本        20個 12個 13個
4位 オーストラリア   18個  19個 16個            
5位 フランス      16個 26個 22個

 何とか日本がさらに上位になれないかと考え、人口数あたりの金メダル1個の割合を考えてみました。
【人口数/金メダル数】
1位 オーストラリア       2250万人/18個=125万人
2位 フランス            6800万人/16個=425万人
3位 日本           1億2400万人/20個=620万人
4位 アメリカ合衆国   3億3650万人/40個≒ 841万人
5位 中華人民共和国    14億900万人/40個≒ 3522万人
いずれにしても、日本は第3位のままでした。

 今回のパリ・オリンピックでは日本は総合馬術障害団体において、第3位に輝きました!ヨーロッパ勢は馬術が強く、日本勢は困難なことがあったにも関わらず銅メダルを獲得し、日本国民に感動を与えてくれました。因みに私たちが生まれる前の1932年ロサンゼルス・オリンピックにおいて、「男爵」という爵位を持っている西竹一選手が金メダルを獲得しました。優勝したとき、” I won !!! ” と言わず、” We won !!! ” と、愛馬であるウラヌス号と自分を意味する “We” を用いたことも話題となったようです。

 1936年のベルリン・オリンピックにおいて、この西男爵(以下、バロン西)は好成績を収めることを期待していましたが、難関なコースに加えて悪天候によるコース悪化により落馬し、それを果たすことは出来ませんでした。1940年ヨーロッパで戦争が始まったことにより、日本は東京・オリンピックを辞退しました。そして1941年には大東亜戦争も始まり、バロン西は馬術が全く出来ない状況になりました。1942年6月のミッドウェー海戦で日本は大打撃を受け、バロン西はあの硫黄島へと配属となります。そして遂に1945年2月アメリカ軍が硫黄島に上陸します。アメリカ軍は当初5日間で硫黄島を陥落する予定でしたが、日本軍は決死の戦いにより1か月以上持ちこたえました。

 1日硫黄島を守ることが出来たら、日本本国への攻撃を1日遅らせることが出来ると考え、日本軍は必死に戦っていました。そのような中、アメリカ軍は金メダリストであるバロン西が硫黄島の日本軍の中に居ることを知り、何とか彼を助けたいと思っていました。何度も何度もバロン西にアメリカ軍に投降するように伝えましたが、彼は最後まで日本のために戦い日本軍の中に留まり、そこで戦死しました。
(バロン西の話 https://note.com/sohma_erimo/n/n93bb914d7005?magazine_key=meccb945298c5)

 因みにオリンピックの始まりは各国の軍隊が戦闘することに替わって、競技において力を競い合うことから始まったそうです。砲丸投げや投げ槍など、戦闘方法の名残がありますね。毎年オリンピックが開催されれば、もしかすると世界の各地で起きる紛争が無くなるのかも?知れませんね。

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