表面波探査法による住宅地盤調査のビイック株式会社

5月の標語「最近感じた嬉しさは何ですか」

 嬉しい気持ちを持つと楽しくなります。いや、楽しい気持ちがあるから嬉しく感じるのでしょうか。どちらにしても良い傾向には違いありません。

 最近私にあった嬉しさの話をさせていただきます。高校生時代からいつも一緒に過ごしていた友人がいました。アルバイトへはその友人宅から通い、アルバイトが終わるとそのまま友人宅へ帰りました。アルバイト代が入ると、その友人と食べ歩いたり、遊びに行ったりしていました。その友人の家に入り浸りで、「たまには家に帰って来なさい」と母親によく言われる始末でした。

 私が最初に所有した車はフォルクスワーゲンのビートルです。「1日7台のビートルを見ると願いが叶う」などが流行り、社会科見学などでバスに乗って出かけるときはクラスメートが争うようにビートルを見つけて「やったーっ!見つけた!あと2台!」などというのが昭和時代にありました。私はそのビートルをカスタマイズしてくれるショップへ足繫く通い、その友人も同行しているうちに、遂にはそのショップで友人が働くまでになり、アメリカへ赴任することにもなりました。

 しかし、お互いが結婚をしたことにより、一緒に過ごす時間は減少していき、後に全く交流が無くなりました。そして2014年11月に風の便りでこの友人に悩み事があるということが伝わってきました。十数年振りにその友人に連絡をし、再会することになりました。

 最初はこれまでの空白期間での出来事を話していましたが、後にこの友人が大病を患っているということを聞きました。友人は「突然大きな津波が襲って来て、その津波から全く逃れることが出来ない心境である」と吐露してくれました。私の出来る範囲でその友人を励ましていくと、少しずつその友人は落ち着きを取り戻していくのを感じました。そのような矢先に医者から「余命1か月です」と、その友人は宣告されたのでした。

 そのため、友人は一時的に失望はしましたが、前向きな姿勢を取り戻し、日々力強く生活をしていきました。ときどき会うことが出来ましたが、体力的にも厳しい面があり、徐々に会うことも難しくなって来ました。

 近年はSNSを送信しても既読にならず、「もしかしたら?」という思いも過りました。それが先日、その友人からの着信履歴があり、久しぶりに友人の懐かしい声を聴くことが出来、6年ぶりに再会することが出来ました。その後はちょくちょくSNSなどでやり取りが続くようになりました。

 友人が余命宣告を受けて早10年。勿論、誰も未来のことは分かりません。しかし、これまで共に過ごした時間が途切れ途切れになったとしても、継続出来ることは、それ自体が嬉しさであり喜びであると感じました。

 2022年頃から始まった円安、それに伴う物価上昇や電気料金の値上がり。また政治と金による政治不信。世界における紛争や他国への侵攻など、全く良いニュースを聞かない日々が続いています。そのような中で、古い友人との再会は私の心に嬉しさを感じさせるものがありました。暗い世の中ではありますが、ローソクの灯りのようになる「嬉しさ」をいつも感じ、持ち続けていきたいと思います。

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