地盤地震耐震

首都直下地震と呼ばれるもの

地震調査研究推進本部から公表されている資料で、30年以内に発生する確率が70%とされている地震は、「プレートの沈み込みに伴うM7程度の地震」と考えられています。

こうした地震はおおむね、上図のような形で発生しており、発生間隔が長くなる場合があり、連続して発生することがある場合もありました。

もちろん、地震の震源は一つのみではなく、相模湾、小田原、神奈川県西部、山梨県東部、茨城県暗部、東京湾北部、千葉県北部、千葉県東方沖、茨城県南西部、埼玉県南部、栃木県日光付近、房総半島南部等々、様々な場所が震源とされています。

これらを含めているので首都圏直下地震とも言うべきですが、東京にも大きな影響があることから首都直下地震と称している形になります。

先の図に記載のある通り、相模トラフのM8クラスの地震とその余震を含めないで考えると、およそ320年の間に5回のM7以上の地震が発生しています。

単純に計算すると64年に1回となりますので、前回の首都圏直下型地震である1921年の茨城県南部の地震(M7.0)から百年余りの時間が経過しており、そろそろ発生しても確率的にはおかしくない、ということになります。

この図に記載されているように地震調査研究推進本部が評価対象にした地震には、東京都直下で発生した地震以外にも、茨城県や神奈川県で発生した内陸型地震と千葉県近海で発生した地震が含まれています。

これらの地震で必ず大きな被害が生じた、というわけではありませんし、地震発生場所によっては、無被害となる地域が存在することは事実です。

ですが、そのことで安心することはできません。

評価対象地震には、江戸時代の地震も含まれますので、発生した被害について単純に現在に当てはめられませんが、例えば安政江戸地震では、死者1万人超とも言われる大きな被害が東京の東部を中心に発生しています。

また、天明小田原地震(1782年)、嘉永小田原地震(1853年)と2回小田原と地名のつく地震が発生していますが、1782年の震源は現山北町・松田町付近、1853年の地震は現小田原市北部と異なる場所での地震であり、被害の中心が小田原であったことから小田原地震と称されているものです。

この二つの地震では、どちらもおよそ千棟の家屋が全壊・倒壊しており、死者も発生しています(1782年の地震では江戸でも死者との記録あり)。

このため、首都圏で大きな揺れを観測することになる地震や、首都圏で発生する地震については、十分以上の注意が必要であると考えられるのです。

なお、安政江戸地震の震源は、大正関東地震の際に活動したと考えられており、東京都の新しい想定地震からは外されています(令和4年版首都直下地震等による東京の被害想定)。

ただし、この付近に地震の巣があることは間違いなく、大きな地震が発生した際には連動ないしは誘発される可能性があるのです。

 

これまで記載してきたように、過去に多くのM7クラス地震が発生している首都圏で、100年間の空白があったことは良いことだったのですが、今後も静穏な時間が続くとは考えにくいのが現状です。

空白があると連続がある可能性がある。これは、1703年の元禄江戸地震後、1782年の天明小田原地震までおよそ80年の空白があったのち、1900年までの間にM7クラスの地震が3回とM6クラスの地震が10回以上発生しています。

現在の空白時間が終了したのち、このように地震が多発する、とは限りませんが備えておくに越したことはありません。

M6クラスの地震でも震度7の揺れが観測されることはありますし、都市近隣で発生した場合には死者を伴う被害が生じることもあるのです。

最後に、記事などで目にすることの多い、首都直下地震に不安を感じる方が多いかもしれません。心配なさる気持ちはわかりますが、今すぐに地震が発生するというわけではないので、出来る範囲で準備を進めておいてください。

何をしたらいいのかわからない場合には、「東京防災」などの防災資料では、準備について詳細に記載されていますのでご参照ください。

*参考資料(東京防災のページ) https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/1002147/index.html

揺れの大きさが震度5を超えると、残念ながら、公共交通機関がマヒすることがわかっています。

そうしたことも踏まえて準備を進めていてほしいと思います。

 

*本資料で引用した図や文章は、平成26年以公表された「相模トラフ沿いの地震活動の長期評価(第二版)について」(地震調査研究推進本部発行)が出典元です。このため、令和4年に東京都から公表された「首都直下地震等による東京の被害想定」とは評価対象地震が異なります。ご了承ください。

 

 

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