地盤地震学会耐震

鎌倉の地震

鎌倉に幕府があった時代以降、鎌倉に大きな被害をもたらした地震の記録が残されています。

1241年5月15日(仁治2年4月3日)鎌倉で地震、M7、津波を伴い由比ガ浜大鳥居内拝殿流出。

1257年10月2日(正嘉元年8月23日)正嘉地震、M7~M7.5震源地は相模湾、または房総沖とされています。

1293年5月19日(正応6年4月12日)鎌倉大地震、M7以上と推定。震源域は鎌倉周辺。建長寺を代表として多数の神社仏閣が倒壊し、23,034名の死者が発生したとの記録も残されています。

1433年10月28日(永享5年9月16日)永享相模の地震、M7以上と推定、津波の記録が残されています。

1703年12月31日(元禄16年11月23日)元禄地震、相模トラフを震源とする地震でM7.9~M8.5と推定。東海道川崎宿から小田原宿で被害が顕著とされ、鎌倉では鶴岡八幡宮の二の鳥居迄津波が押し寄せたとされています。

 

これらのうち、元禄地震を含むいくつかの地震は、相模トラフを震源とする地震であったと考えられています。

 

相模トラフを震源とする地震として、最も知られているのが1923年に発生した関東大震災呼ばれている大正関東地震です。大正関東地震規模のM7以上と想定される大地震は、200~300年間隔で繰り返されています。

 

相模トラフを震源とする地震や東北地方沖の地震などは海溝型地震です。海溝型地震は、時間が経過してエネルギーが溜まると放出され大地震が発生します。一度エネルギーが放出され大地震が発生しても地殻変動によりエネルギーが蓄積されます。その為、今後も十分な注意が必要な事は間違いありません。

相模トラフの地震は200~300年間隔で、前回の大正関東地震が1923年だから、あと100年程は大丈夫、という考え方は通用しません。

 

大きな地震が別の場所で発生した場合、誘発される可能性がありますし、1293年の鎌倉大地震と1433年の永享相模地震とは140年の間隔しかありませんでした。

 

それに関東地方に大きな被害を与える地震は、相模トラフを震源とする地震以外にもあります。房総半島沖や東京湾北部、神奈川県南部を震源とするM7クラスの地震は、いつ発生してもおかしくない状況にあると言われています。

 

今後30年間にM7クラスの地震が発生する確率は70%と言われています。

この確率は一つの地震ではなく、首都圏にある様々な地震をまとめた確率なので、首都圏に住んでいる人に対して警戒を怠るなという意味合いが強いものです。

 

実質的には、過去に繰り返し大きな被害を受けたところでは、いつ発生してもおかしくないから備えておくようにという警告でもあります。

 

コンビニやスーパーが地震後も営業を続けていた、というようなことが熊本地震の際にはありましたが、これは被害のほとんどなかった巨大都市福岡市などの存在が近隣にあり、交通インフラの多くがそのまま使えたことによる物資の補充が可能だったためです。

 

東日本大震災のように広範囲が被災してしまうとそういうわけにはいきません。

交通網の寸断によって生じる混乱は大きなものとなります。

 

結果、場所や避難所によって物資の量が大幅に異なるという事態が生じました。

被災する範囲が広いと同じようなことが生じますが、被災地中心部に近い場所や被害の大きかった場所には救難部隊が入るまでに時間が必要となります。

 

関東地方の人口は多く、当然災害時には被災人口も多くなります。物資がどれだけあっても足りなくなる可能性は否定できません。

 

このため、個人個人で備えておくことが必要になるのです。

災害に備えて用意しておくもののほとんどは、日常的に利用することが可能なものです。

保存食品を大目に購入して、飲料水を確保しておくだけでも役に立ちます。

3日間かける家族人数分の保存食と水の用意を是非、お願いいたします。

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