地盤学会

関東地方の海岸線

「日本沈没」という小松左京先生原作のドラマが放送されて、話題となっています。

筆者はこの原作がお気に入りなので見ておりますが、この中で関東水没ということが語られています。

関東水没、この状況のシミュレーションが放送された際に思い出したことがあるので、このことについて触れたいと思います。

現在の関東付近の海岸線は、今でも埋め立てが行われている関係で形状が少しずつ変化しており、陸地面積が増えつつあります。

15世紀に太田道灌が江戸城を築いたころには、今とはだいぶ海岸線の位置が異なっていました。

https://www.pa.ktr.mlit.go.jp/tokyo/history/index.htm

上記リンクは国交省関東地方整備局東京港湾事務所のサイトで、江戸時代初期の海岸線が記載されています。今とはだいぶ異なっていることが分かります。

さらに時代をさかのぼります。

縄文時代の前期、今から5000~6000年ほど前、ウルム氷期と呼ばれる寒冷期が1万数千年前に終了して地球の気候が温暖になった際、溶けだした大量の水によって世界的に現在よりも海水位面が高くなり、そのことによって海岸線が今よりもだいぶ内陸側に進みました。このことを「縄文海進」と呼び、日本でもだいぶ海岸線が内陸側に移動(低地は海に沈む)しました。

https://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/11/pdf/11_2_2.pdf

上記リンクはアーバンクボタというKubotaが発行していた資料の一部で、12P図2に縄文海進時の海岸線が記載されています。そしてこの海岸線沿いに多くの貝塚が残されています。

「日本沈没」で紹介される関東水没ほどの規模ではありませんが、東京・神奈川・千葉・埼玉・茨城の陸地が現在よりも狭くなっていることが分かります。

ここからまた時代をさかのぼると、約12万5000年前の間氷期(氷期と氷期の間に挟まれた気候の温暖な時期)は縄文海進が起こった時期よりも温暖な時期があり、この時代に発生した大規模な海進を「下末吉海進」と呼び、「縄文海進」時よりも海が内陸部に入り込んでいたと考えられています(アーバンクボタ15Pの図7参照)。

関東全域が海になるような状況ではありませんが、縄文海進よりもかなり広い範囲が海となっていた可能性があります。

「日本沈没」で論じられているように地殻変動が急速に進んで、関東地方が水没するようなことや下末吉海進のような海水面が大きく上昇するようなことについて、数か月という短時間に生じることは地球の活動的に考えにくいのですが、長期間にわたって進行する海水位面の上昇は過去に発生したことがある、ということは知っておいて欲しいと思います。

 

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