*アイキャチはgoogle mapより引用しました。マークの位置が眉山になります。
山が崩れる
前回、地滑りなどの土砂災害について触れました。そこで、とんでもない被害を出した山体崩落という現象について話をしたいと思います。
1792年(寛政4年)、11代将軍徳川家斉の時代に肥前国島原で生じた災害です。
1791年末ごろから雲仙岳付近で地震が多発し、普賢岳が噴火します。この多発した地震や噴火によって吹き上げられた多数の石の影響で、普賢岳の東側に隣接する眉岳では地割れが各所で生じます。
地震の震源は島原の方に移動して続いていたが、この群発地震が収まりかけた頃に大きな地震が2度起こり眉山の東側斜面が大きく崩落しました。
*写真では木々に覆われて判りにくいですが、写真の山がえぐれたような跡がこの崩落跡になります。
*写真引用元 林野庁HP
眉山の崩落で大量の土砂(一説には3.4億立米)が土石流となって島原城下を通って、有明海になだれ込みました。
このため、肥後国(現熊本県)の熊本(市)と天草地方には津波が押し寄せました。
この津波の高さは、島原で6~9m、肥後で4~5mとされており、流出家屋も六千棟を越えたとされています。
眉山の崩落のことを「島原大変肥後迷惑」と言い表しています。そして、島原では眉山の崩落と津波でおよそ1万名、海を挟んだ肥後国では、津波でおよそ5千名が亡くなったと記録されています。
眉山が海に近かったために生じた大災害で、火山性地震が原因ですから、現在でも巨大地震や群発地震が発生した場合には同様な山体崩壊が生じる可能性があるのです。
こうした災害があった、ということを知っておいていただければと思います。