地盤

坂東太郎さんについて(1)

地震の話題が続きましたので、少々趣を変えます。

坂東太郎という名前をご存知でしょうか。今でこそ同名のファミリーレストランが有名になりつつありますが、もともとは坂東(関東のこと)にある一番大きな川のことで、利根川のことを指します。本流の流路延長は300kmを越え、流域面積は16,000平方キロメートルを越える大きな河川です。

実はこの川は、中世から暴れ川として知られ、雨期には降雨に伴い氾濫して、周囲の田畑を沼に変えていました。そして、現在のように銚子から太平洋に流れ込むのではなく、荒川と合流して東京湾に流れ込む形でした。そしてその川の形はしばしば変化していたと言われています。

この状況が変わるのが、徳川家康が関東に移封されたことです。

家康は、関東に移封されると家臣たちに新しく領地を与え、その領地を与えられた家臣たちが、暴れ川である利根川を抑えるために堤防などの築造を始めます。

1603年に江戸幕府が開府すると、江戸は天下人の城下町としてふさわしい街になるよう、整備が進められます。水運の利便化と新田開発のために河川移設と周辺整備の工事は加速されていきます。

そして、利根川の移設が完了するのにおよそ60年の歳月がかかりました。そして、そのほかの河川の移設や氾濫を防ぐための堤づくりに手を付けていきます。これには当時の技術者たちの創意工夫が生かされており、年代的に新しい第四紀の地盤を苦労しながらも改変して、大きな水の力に耐えられるように築き上げました。

それでも自然の力は強く、完璧なものとはいかずに氾濫は生じましたが、移設前に比べるとその回数は制限されたものと考えられます。

江戸時代の土木工事には、印旛沼の開拓などうまくいかなかったものもありますが、見沼代用水や葛西用水など現在もその姿を残している農業用水も作られています。どちらの用水路も利根川を水源としており、現在になっても使われています。

 

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