11月は2つの祝日があります。
・「文化の日」 (11月3日)
・「勤労感謝の日」(11月23日)
昭和23年に「国民の祝日に関する法律」が制定されました。その法律の発祥は、「明治6年太政官布告第344号」となり、ここにも祭日祝日が定められました(年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治6年10月14日))。
この太政官布告においては、
・「天長節」(11月3日)
・「新嘗祭」(11月23日)
となっています。
ここで、「天長節」(11月3日)とは、天皇誕生日にあたる祝日のことで、このときは明治節となりました。”明治節(めいじせつ)は、昭和前期の祝日の一つ。明治天皇の遺徳をしのび、明治時代を追慕する目的で制定された。明治天皇の誕生日である11月3日をこれにあてた。祝祭日には、国家の祝日と、皇室の祭祀を行う祭日とがあったが、明治節は新年節(1月1日)、新年宴会(1月5日)、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)と並んで祝日とされた。”(wikkipediaより引用)
また、「新嘗祭」(11月23日)とは、春に豊作を祈願する祈念祭に対して、秋には収穫を神々に感謝するのが新嘗祭です。”天皇がその年に収穫された新穀などを天神地祇(てんじんちぎ)に供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食する儀式である。毎年11月23日に宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。同日には全国の神社でも行われる。”(wikkipediaより引用)
・11月3日 「天長節」→「文化の日」
・11月23日「新嘗祭」→「勤労感謝の日」
・2月11日 「紀元節」→「建国記念の日」
・3月20,21日「春季皇霊祭」→「春分の日」
・9月22,23日「秋季皇霊祭」→「秋分の日」 など、元々の祭日の名称が変えられてしまいました。
これらは宮中の祭祀に関するものでしたが、戦後GHQにより意図的に名称を変えさせられました。このように、戦前に行われたことや当時の日本人が知っていることが、現代の日本人に引き継がれないようにされました。私たちはこのことをどのように捉える必要があるのでしょうか。