9月1日は防災の日です。
そして今年は、8月30日から9月5日までの一週間が防災週間とされています。
この防災の日と防災週間については、1923年9月1日に関東大震災が発生したことを風化させないようにすることと、ちょうど二百十日がうるう年以外は9月1日になることから、台風の襲来が多いとされるこの日を災害への備えを忘れないようにするためにと定められたものです。
東京消防庁では「地域の防災力を高めよう」という標語を掲げています。
https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/camp/2021/202108/camp1.html
また、この時期は、防災訓練が各地で行われますが、今年はコロナ過で密を避けるために実施を見送ることが多いと思います。
このため過去の事例で防災の必要性を考えるため、火災による被害の大きかった関東大震災について少々触れてみます。
諸井・武村(2004)の研究(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaee2001/4/4/4_4_21/_pdf)によれば、関東大震災による死者・行方不明者は東京で7万名あまり、神奈川で3.2万名あまりとなっており、この二つの自治体で死者・行方不明者全体のおよそ98%を占めています。
東京における犠牲者の94.5%が火災によるものとされているのに対し、神奈川における犠牲者のうち火災によるものはおよそ76.7%であり、これに倒壊した建物の下敷きになった犠牲者およそ17.6%、その他、津波や山崩れ、がけ崩れに巻き込まれた人が含まれています。
極端な話ではありますが、火災という副次的な要因が全くなければ、関東大震災での犠牲者のうち、およそ87.1%(火災による犠牲者の割合)の人々は助かった可能性があったということになります。
この被害の原因となった一つに江戸時代の風習があります。
江戸時代の言葉で、「火事と喧嘩は江戸の華」というものがあります。
江戸時代はとにかく火事が多く発生し、幕府は火除地を設けるなど様々な対策を行っていましたが、火災を抑えきることができませんでした。
このため、江戸の人口の大半を占めていた庶民は、簡素な家屋(再建しやすい)に住み、家財道具が少ない生活(いざというとき持ち出しやすい)で逃げ出しやすい環境の中、生活していました。
大正時代には災害発生時は家財道具を持って逃げる、という江戸時代の風習がまだ強く残っており、地震発生時、多くの人が家財道具を持って空き地(特に本所区にあった広い空き地:陸軍被服廠跡)に集まることになりました。
家財道具を持っていたため、家から遠くには避難できなかった、ないしは家から遠くに離れたくなかった人が多かったと考えられます。
そして、おりからの強風にあおられて発生した数多くの火災によって逃げ場をなくしてしまい、結果として多くの犠牲者を発生させることになったのです。
現在では、このようなことを繰り返さないため、耐火建物を建築することや広い道路を数多く配置して延焼を防ぐ役割の一環を担うように考慮されています。
技術の進歩や人々の生活環境の変化によって、近年の地震被害に占める火災の割合は、少なくなっているとは思いますが、地震に関係なく大きな火事が起こることはあります。
この時期は、報道でも防災関係の特集が組まれ、9月は防災について考える良い時期であると思います。火災、そして地震や風水害、こういった災害について備えておくことを再度考えてみてはいかがでしょうか。